こころまち つくろう KEIHAN 京阪ホールディングス

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こころまち つくろう 活動レポート

[こころまちつくろう 活動レポート Vol.12]みんなの心がこもった車両を、新しいKUZUHAへ。

1972年に「くずはモール街」としてオープンしてから約40年にわたり、京阪沿線にお住まいの方はもちろん、沿線外のお客さまからも愛され、成長してきた「KUZUHA MALL」。
「潤うまち、彩るくらし、輝くわたし」をコンセプトに、3月12日に増床・リニューアルしてグランドオープンし、さまざまな「ちょっとたのしみ。」を提供できる商業施設へとさらに「進化」を遂げました。

そんな新しい「KUZUHA MALL」の中で、ひときわお客さまの目をひくスポット。それが、南館「ヒカリノモール」にオープンした、「京阪電車を、見て、知って、体感できるゾーン『SANZEN-HIROBA(さんぜんひろば)』」です。
同施設では、昨年3月に引退した旧3000系特急用車両「テレビカー3505号車」(以下、「テレビカー」「旧3000系車両」)のデジタル動態保存や運転シミュレーター、京阪沿線ジオラマ、京阪の進化をたどるパネル展示などを楽しむことができ、オープン以来たいへんな人気を博しています。

なかでも人気のテレビカー3505号車は、「くずはモール街」と同じ1972年に登場、京阪間の他路線に先がけた新しいサービスを実現、座席の向きを自動で一斉に変える日本初の装置や、当時まだ珍しかったカラーテレビ、冷房設備などを備えていました。
一方の「くずはモール街」も、散策しながらさまざまなショップでお買い物を楽しめる欧米型の「モール」スタイルを日本で初めて展開した施設で、くずはローズタウンとともに、新しい街・文化を沿線につくるという思いが込められていました。
さらに、その玄関口となる樟葉駅は、特急の15分ヘッド化を実現するために、待避線を備えた最新の高架駅へと豪華に変身、京阪電車で初めて自動改札機も設置されました。
創業以来「進取の気風」をDNAに刻んできた京阪電車が、情熱をもって切り拓き、開発したくずはエリアやテレビカー。今回の「KUZUHA MALL」の増床・リニューアル工事にあたっては、このDNAの「継承」と「進化」がストーリーの根底にあったのです。

今回展示保存することになったテレビカーは、このストーリーの語り手として、大きな役割を担っています。そのため、展示に際してはデビュー当時の姿に限りなく近づけようということになり、京阪電車車両部が、当時の車両開発にたずさわった先人の技術・誇り・情熱に思いをはせ、「KUZUHA MALL」にお越しになるお客さまにその姿を見て喜んで頂き、あわせて京阪のDNAを感じ取って頂こうと、その復元に細部までこだわり取り組みました。

今回は、テレビカーの復元工事を担当した車両部の方々にお話を伺いました。

数多くの方々の協力があってこそ実現できました

「―――富山に内装パネルを引き取りに行ったのは、2013年12月。かつて旧3000系車両に使用していた昔の内装パネルをいただくため、代替品と取り替えてきたんです」。引退時の旧3000系車両は1995年の改修工事によって、デビュー当時からは大きく姿を変えていました。車内の復元を担当した平田さんは、約20年前に譲渡した旧3000系車両が現役で走っている富山地方鉄道を訪問しました。
「内装パネルを譲渡してもらえないかとお願いしたところ、快く了承していただきました。約40年前に製作された内装パネルの取り外しは、想像以上に困難な作業でした」と、平田さんは、達成感を感じさせながら苦労話を語ってくれました。

「くずはモール街が生まれた1972年頃、すなわちテレビカーが人々を魅了した頃の姿に限りなく近づける」
それが、車両部に与えられたプロジェクト。「デビュー当時のテレビカーに親しみを持つお客さまにも、当時の姿を知らない小さなお子さまにも、当時からこんなにすごい電車を走らせていたという京阪のDNAを語り継ぐものにしたい」という思いで、平田さんは復元に取り組んだといいます。

また、「今回の復元は京阪だけで実現できたのではなく、富山地方鉄道様を始め、数多くの方々の協力があってこそ実現できました」と感謝の気持ちを忘れていません。

お客さまに喜んでいただけると
嬉しい限りです

「自宅のテレビが白黒だった時代、京阪電車に乗るとカラーテレビを見られるって、ずいぶん話題になりました」。野邑さんは、車両部の中でも当時のことを知る数少ない一人です。先頭車両に装備されたテレビアンテナや、座席、連結幌(ほろ)にいたるまで、テレビカーの復元にはみんながこだわりを持って臨んだそうです。
特に野邑さんが苦労したのは、乗務員室の運転台の計器パネルだったといいます。「技術の向上に合わせて運転台機器も進化してきたため、当時の姿と大きく変わっており、復元するのにかなり頭を悩ませました。みんなで知恵を絞り、何とか当時の姿に近づけるよう努めました。復元されたテレビカーを見て、懐かしい気持ちになったとお客さまに喜んでいただけると嬉しい限りです」。

ぜひ京阪のDNAを、「見て、知って、体感して」ください

「復元工事の工程調整は大変でした」と話すのは山田さん。「モールの施設内にテレビカーを配置するには施設の建築工事前に搬入する必要があり、2013年6月14日夜半に搬出することが決定していました。復元工事のボリュームから寝屋川車両基地(以下、「寝屋川」)内で全ての工事を完了させることは工程的に厳しく、モールに搬入した後に現地で作業することは必須な状況―――。まずは復元工事の内容を精査し、寝屋川でしかできない工事を優先して、モールへの搬出までに実施しました。また、現地での作業に際しては、事前に必要な設備機器や工具等の準備を徹底しておかないと作業できない状況にもなってしまいます。さらにはモールの建築工事が進められる中で実施することから、建築工事の工程との調整も必要でした。計画では2014年1月の8日間で完了する予定でしたが、追加で2月にも作業を実施し、何とか完了することができました」。
さらに、「寝屋川からのテレビカーの搬出も苦労しました。車両を新造する際に寝屋川へ搬入するのは慣れたものですが搬出することは極めて稀で、ほぼありません。単純に逆のことをすればいいように思われますが、運搬用の台車に履き換えるために事前に外しておく床下機器の確認等、搬出が安全にできるよう細心の注意を払う必要がありました」と語ります。

「車両部は、車両の保守・点検が主な業務であり、電車の安全を下支えする屋台骨のような存在―――。私達の仕事そのものが直接お客さまの目に触れることはめったにありません。車両の新造や改造の際にもお客さまの反応に触れることはできますが、今回のプロジェクトは、『KUZUHA MALL』の幅広い層のお客さまが集まるゾーンにテレビカーを復元・展示するという、日常的な電車のメンテナンスとは異なる目的がありました。これまでに培ってきた技術と誇りと情熱をかけて復元した結果、お客さまに京阪のDNAを感じていただければうれしいです」とは、取材した平田さん、野邑さん、山田さんが口をそろえて語ってくれた言葉。

車両部のみなさんによる復元以外にも、駅・車内のアナウンスや機器装置の動作音、車両の走行音なども再現されています。さらに、京阪沿線の風景を前方・側方の車窓から楽しむこともできます。

テレビカーをはじめ「SANZEN-HIROBA」の各コンテンツで、歴史や技術、情熱など、ぜひ京阪のDNAを、「見て、知って、体感して」ください。