安積 舞 Azumi Mai
2007年入社
法学部 政治学科卒
株式会社京阪レジャーサービス 総務部 マネージャー
白黒つけないと気が済まず、自分が正しいと思うことは誰に対しても物怖じせず意見します。自信満々で強気と思われがちですが、一人反省会を繰り返しては落ち込むような一面も。仕事でのポリシーは、「何事にも妥協せず熱意をもって臨むこと」です。最近の悩みは、仕事人と母親という二足のわらじのうまい履きこなし方。
入社1年目~2年目
おかげさまで。ファミリー層だけでなく、若いお客さまも増えました。
最初の配属が、ひらパーを運営する京阪レジャーサービスの営業チームでした。そこで、アルバイトと一緒に仕事をしながら現場業務を覚えるところからスタートしました。
アトラクションの操作以外のほぼすべてです。お客さまのお迎えに始まり、イベントホールの案内、プールの監視員、スケート靴の貸し出し、野外ステージの運営、休園日はメンテナンスということで、セメントを塗ったり高圧洗浄機で掃除をしたり。
そこからです。パークという現場があって、それを運営する現場メンバーに支えられている職場なので。とにかく日々新しいことの連続で、覚えることが山のようにありました。一日も早く仕事を覚えたいという思いから、「指導してください!」と積極的に教えを乞いながら、いろいろなことにチャレンジしていました。
2年目は同じく現場の仕事をしながら、少しずつ野外ステージなどの企画を考えるようになりました。この仕事の良いところは、お客さまの反応を通じて、自分の仕事の結果を直接感じられるところです。自分が企画したイベントで、お客さまが楽しそうにされている様子を見ると、やはりうれしいものです。
入社3年目~4年目
少しずつ現場を任され始めて、入社4年目には現場を統括するリーダーを務めました。年齢が若いにもかかわらず、上の立場になりましたが、知識も経験も足りないのでうまく務まらない…。
それでも拝命した限りはやらないといけないので、理想と現実の差というか、ホールディングス社員としての力のなさを痛感して苦しんでいました。
そこが難しいところなのですが、私たちホールディングス社員は、何年かすると異動するので、ともすれば「腰かけ」と見られてしまいます。でも、私は「腰かけ」なんていう気持ちは寸分も持っていなかったので、「自分は皆さんとしっかり肩を並べて仕事がしたい!」「自分はこう思う、こうしたい!」と、ことあるごとにアピールしていました。すると、先輩プロパー社員さんから「安積さんって、なんか良い意味で出向社員らしくないよね」と言ってもらえたんです。
本当にうれしかったですね。仲間と認めてもらえた思いでした。パーク運営はチーム仕事なんです。「たぶん」や「だろう」ではだめで、良いこともイヤなことも両方ぶつけあったうえでメンバーが一つになることで、初めてお客さまの笑顔をつくることができるんです。それだけに、うれしい一言でした。
仕事をするうえで大切なことも、この時期に学びました。私の仕事人としてのベースは、すべてここで作られたと感じています。
入社5年目~入社10年目
もともと教員をめざしていたこともあって、自己申告書に「いつか人材育成に携わりたい」と書いたら、すぐ異動になったんです。ひらパーの仕事に後ろ髪を引かれながら本社勤務を始めると、現場と本社の違いに圧倒されました。
まず席についていないといけない(笑)。ひらパーでは10代から80代までのいろいろな仲間と一緒に働いていたのに、本社にはホールディングス社員しかいない。何より、皆さんの優秀さにまず劣等感を抱きました。
そうなんです。「先生」という存在に対する漠然とした憧れがあったんですが、その職務をまっとうするには、それだけの蓄えが必要だということに気づいていなかったんですね。
教育研修の企画と講師の両方を担当していました。最初は人前で話すことに抵抗がなかったのですが、次第に、人に教えることの重要性と、その立場が負う責任を身に染みて感じるようになり…。気がつけば教壇に立つのがこわくなっていました。
ひたすら、そこに立てる人間に近づけるよう努力しました。人材育成を担当する者として、強い想いと冷静な頭脳、そして人としての魅力を備えた人間になろうと。あとは、仕事の意味について熟考するように心がけました。
人材育成って、決まった正解がないんです。でも人は、「これは自分に必要なことだ」と思えなければ、真剣に取り組まないものです。だからこそ人に教えるためには、まず自分が絶対必要と思えなければならないし、その内容について熟知していなければなりません。そんな考えから、すべての物事に対して「なぜ必要か」「なんのためにするのか」という意味を考えるようになりました。
ありましたね。もともと白黒つけないと気が済まない性格なので、そんなときは葛藤に苦しめられました。つらい経験もしましたが、ここで私が新入社員研修を担当した教え子たちが社内にたくさんいて、今でも「安積さん!」と声をかけてくれるのは、本当に育成担当冥利に尽きます。
そうなんです。人事部在籍中に、2度の育児休暇を取得しました。周囲が温かくサポートしてくれたのがうれしかったですね。
入社11年目~現在
ひらパーの現場に戻りたいという思いはあったものの、まだ子どもが小さかったので、「融通が利くところならどこでも」と希望を出していました。すると、「ひらパーにぜひ行ってくれ」と。
異動前に園長と面談をしたら、「育児の都合などいろいろ考えて、好きなようにシフトを組んでくれたらいいから」と、大変ふところの深いお言葉をいただきまして。
本当に。まあ、そんなわけで京阪レジャーサービスの総務部にサブマネージャーとして戻ってきました。
以前とは違った見え方をしたのが新鮮でした。私自身、本社でキャリアを積んだことで、以前は見えていなかったものが見えたり、子を持つ親になったことで、遊園地という空間をまた違ったかたちで体感できるようになったり。
ひとことで言うと、従業員がいきいきと働くための環境整備でしょうか。働き方改革、法令遵守、人事制度の見直し、人材育成体系の構築、従業員満足度の向上などなど。やることはたくさんあるのですが、園長からは「お客さまにとって幸福感100%の遊園地であるためには、従業員も笑顔でなければならない」と言われており、そのための施策を考え、実現するのが私の仕事です。
だからこそ難しいですね。どれも一筋縄ではいかないものばかりです。世の中の規定や法令に沿ったものにするだけでなく、自社の特性や従業員の実態を考慮して、「適正な落としどころ」を見定めることによって、ちゃんと「活きる」あるいは「活かしてもらえる」制度にしたいと考え、知恵を絞っています。
未来
子どもに誇れる仕事をしていきたいです。今の仕事は子どもが大好きなひらパーを守る仕事なので、「ママの仕事の結果=(みんなが)楽しいひらパー」というわかりやすい構図で、子どもなりに理解し自慢もしてくれているようですが、たとえ所属が変わってもこれだけはゆるがない軸として持っていようと思います。
自分、一緒に働く仲間と家族、そしてお客さまが、それぞれみんな幸せを感じられるような仕事をすることですね。同じ仕事をするなら、やっぱりやりがいや意義を感じながら、自ら「やりたい!」と思って仕事をするほうが幸せだと思います。それができれば、家族やお客さまも幸せにすることができる。そのためのきっかけづくりに自分がかかわることができたなら、こんなにうれしいことはないです。
私はもともと能力もスキルも人より秀でたものは何もありません。でも、仕事にも人にも熱意をもって、妥協せず真正面から向き合うことをひたすらつづけてきて、ここまできました。それは、きっとこれからも変わらない私の生き方。仕事を選ぶということは、どんな人生を歩みたいかを考えることだと思います。私は、仕事を人生の片手間ではなく、人生を構成する大切な要素の一つとして考え、情熱をもって取り組める人と一緒に働きたい。それが私からのメッセージです。