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こころまち つくろう 活動レポート

[こころまちつくろう 活動レポート Vol.09]昔人たちの「こころまち つくろう」を発掘! ~遺跡発掘支援に携わるプロ達の現場に迫る〜

「遺跡の発掘を支援する」という、一見、私たちの日常とはかけ離れた仕事をする会社が京阪グループにあります。
株式会社文化財サービス。全国に点在する遺跡の発掘支援や出土した遺物の調査・分析、そして復元にいたるまでを行う会社です。
京阪電車が走るエリアでは、土地開発の際に遺跡が出土することも多く、文化財サービスで働くプロが活躍するシーンがたくさんあります。
知られざるその現場を、ご紹介していきましょう。

「遺跡調査」、実はハイテク!?
遺跡現場写真を3D解析するプロ。

パソコンに向かって緻密な作業に没頭する若い女性。その光景は「遺跡の発掘支援」という言葉からはかけ離れていました。画面上には、遺跡現場で撮影された写真が映されています。

「今、遺跡調査に関する報告書に掲載する図面を描いています。」

遺跡や遺物写真のデータ解析を担当する西川さんは、文化財サービスの中でも最も若いスタッフの一人。遺跡調査では遺跡がどのようなものであったかを精密に記録した図面が必要となります。その図面を描く前に「ステレオグラム」という技法を使って遺跡の正確な高さ、深さを計測していく作業です。

「3D映画を見るような専用のメガネをかけて、測量ソフトで立体的に見える部分に線を引いていきます。」

こうした技法は、国土地理院などが発行する地図の等高線の記載でも同じ方法が用いられているとのことです。西川さんが慣れた手つきでマウスを操作すると、高さや深さが分からない航空写真だった画面から、線で表現された断面図や立面図などが現れます。

ところで、西川さんはなぜこの仕事を選んだのですか?

「人間の作った古い建物や道具に何となく興味があって、遺跡発掘調査のアルバイトに応募したのがきっかけでした。当時はこんなにハイテクな作業に携わるなんて思っていませんでしたけどね。ただ、仕事として携わったのをきっかけに、文化財を『鑑賞する』立場ではなくて『遺す』立場になりたいという気持ちが強まりました。今も発掘調査現場へ見学に行くんですが、日常生活では触れられない『昔』の世界を垣間見える瞬間が、とても面白いですね。」

一方、遺物の破片は人の手で!?
職人技で美しく石器を描くプロ。

次に訪問したのは「遺物整理チーム」という出土した遺物を取り扱っているセクション。ドアを開けると、遺跡調査・測量チームとはちがってパソコンがほとんどありません。そのかわりに、デスクの上にあるのは1枚の方眼紙。そして、若いスタッフたちはそれぞれが持っている「土器や石器の破片」を観察しながら、黙々と作図をしています。

一体、この光景は?

「これは『遺物実測』という作業をしているところです。発掘現場から届く細かな土器片や石器片などの遺物は、『発掘調査報告書』へ記載するために手描きで作図していきます。」

説明して下さった古谷さんは、遺物整理チームをまとめるチームリーダー。
一口に「土器や石器」と言っても、その大きさや年代、製作技法など種類は千差万別で、その特徴を忠実に表すにはデジタル処理ではなく人の手で描いていくのが最も精度が高いのだそうです。

「チームに所属するほとんどのスタッフは最初は未経験者でした。例えスケッチが上手くてもいきなり土器や石器を渡して描けるものではありません。作図するには、それぞれの土器や石器が持つ特徴を表現しなければならず、会社の勉強会や全国各地の発掘調査報告書等を通じて遺物についてしっかりと学んでもらいます。もちろん、歴史の知識も備わっていた方が、より理解して作業できると思いますね。」

難易度が高く、とても骨の折れる作業のようですが「みんな、歴史や遺跡が好きでこの仕事をしていますから、モチベーションが高いんです」と、古谷さん。細部まで繊細に表現するスタッフ達の技術は、発注元からも評価してもらってます。

「『発掘調査報告書』は書店で販売される図書ではないので、一般の方々には私たちの仕事の意義をなかなか感じていただく機会がないのかもしれません。しかし、一部は『展示』という形でお披露目されることがあります。実はその展示品を修復・復元するのも、遺物整理チームの仕事なんですよ。1階に、遺物復元に携わって30年のキャリアを持つ男性がいるので、ぜひ話を聞いてみてください。」

まさに歴史のパズル。
経験と勘で土器を蘇らせる復元のプロ。

1階の作業場は、まさに大きな埴輪を復元している真っ最中でした。その破片の特徴をつかもうと真剣な眼差しを向ける内牧さんは、遺物復元の道に入って30年の超ベテラン。これまで携わった復元は4000点以上あると言われています。聞けば、内牧さんのところに土器の破片が届くときは、本当にバラバラの状態なのだとか。しかも、本当のパズルとは違って「足りない部品」もたくさんあることが推測されるので、内牧さんは技術とこれまでの経験を頼りに復元に取り組んでいます。

「復元作業にも、実は『納期』というものがありますからね。いつまでも悩んでいたり迷ってはいられないのです。僕らが携わる復元の大部分は、展示目的で使用されます。発注元の希望によりますが、足りない部品はこうして樹脂や石膏を継ぎ足して、完全な状態に仕上げます。塗り足し部分が分かるようにわざと真っ白にすることもあれば、違和感がないように着色・復元してお渡しすることもあります。」

復元に携わった土器が「素晴らしい」と喜んでもらった時や、実際に博物館などで展示されている風景を見たときが未だに嬉しいとおっしゃる内牧さん。私たちが博物館で鑑賞する遺産などは、公開にいたるまでこうしたプロの手によって再び蘇っているのだと初めて知りました。

現場に立てば、昔人の生活ぶりが見えてくる。
15歳で遺跡に魅せられた発掘調査のプロ

最後にお伺いしたのは、発掘調査部門のマネージャー・喜多さん。現場で直接作業にあたる機会は減りましたが、初めて遺跡調査という仕事に触れた15歳の夏のことは今でも覚えているといいます。

「友人の誘いで、大規模な遺跡調査の現場で約1ヶ月アルバイトをしました。確か弥生時代の高地性集落の調査だったかな。そこで初めて遺跡が土の中から出てくるのを目の当たりにしたのが、最初のきっかけだったと思います。」

発掘調査の行程自体は、喜多さんの若かりし頃と今とではほとんど違いはなく、最後は人の手で慎重に掘り進めていくのだそうです。

「遺跡って、一層だけじゃないんですよ。どういう事かと言いますと、たとえば一番上に江戸時代の遺跡があって、さらにその下には鎌倉時代の遺跡があって、そのまた下に平安時代の遺跡があって・・・と、幾重にも重なっているケースがあります。その一つひとつを壊さないように調査して、記録保存していかねばならないんです。とても神経を使う作業ですね。」

ときには、歴史の教科書が書き換わるのではという程の大発見に巡り会うこともある遺跡発掘という仕事。最後に喜多さんにとって、この仕事の醍醐味とは?

「もちろん、珍しい遺物の発見現場に立ち会えるというのもやりがいの一つです。以前、ある湖の水中調査のときは未解明の遺物がたくさん発見されたこともありましたし、『発見』というのはこの仕事の醍醐味ですよね。でも、それよりも僕は遺跡の新旧関係や当時の人々の生活ぶりを読み解いているときの方が面白いと感じているかもしれません。例えば、住居の跡の中になぜか水路の跡がある。これは『家を移築した後に水路を設けたんだ』とか、内陸にも関わらず石で出来た釣り具が沢山見つかったときは、『近くの川で釣りをして生活していたんだ』とか—。
今はその『跡』だけが遺されていても、さまざまな手がかりをもとに千年以上前の風景を思い浮かべることができるんです。」

当社は京都を中心に活動していて、これまで京都市や長岡京市で発掘調査された平安京や長岡京の調査資料の整理を数多くお手伝いしてきています。これまでの様に、発掘調査に参加し現場で『発見』することも醍醐味ですが、独特の文化を持つ沖縄やその他各地の資料整理をお手伝いすることで『発見』することもあって、やりがいとなっています。

エピローグ

遺跡発掘支援という仕事の中に、プロ意識の高いさまざまなスタッフ達が働いている株式会社文化財サービス。この会社は、京阪グループの中で唯一、昔の人々の「こころまち つくろう」を探究し、現代に遺そうとしている会社なのです。